「Step。あなただけの音色」Vol.6

支援の話

「言葉」

自分より年上の方には、敬語。

自分より年下の方には、日常語。

こんな土台に私は立って、支援していました。

以前、高齢者の方の支援をしていた時には

自然と会話は、敬語になっていたのですが

時折、幼い子どもに対して接するような言葉遣いをする同僚が居て

それに対して、違和感と、利用者さんを尊重して支援していないような

申し訳ないような気分になりました。

その後務めた入所施設では

呼称の徹底が不十分で、

利用者さんとの関係性や、支援者より低年齢と言うことからも

“さん”ではなく“ちゃん、くん”など

でお呼びしていました。

しかし入職して程なく

利用者さんと契約の締結を行い

サービスを提供する者としての立ち位置として

支援の徹底を行うため

“さん”付の徹底が職場の義務となりました。

ここで、固定された私の辞書が、モヤモヤし始めました。

どんな感情になったかと言いますと

「○○さん」

と声掛けした時、何とも言えない距離感を感じたのです。

昨日まで隣にいた方が、物凄く遠くに行ってしまったような

物理的な距離感を感じました。

目の前にその方は変わらずにいらっしゃると言うのに。

けれど、同僚にそのことを話したら

「それは、小見さんがそう思うだけでしょ。利用者さんはそんな風に、思っていないと思うよ」

と、あっさり言われました。

私の中にある、利用者さんに対する親しみの感情が、

そう思わせたのだと、振り返り、思いました。

結果的に

支援を行う時にとても、有効なことが分かりました。

どんな時に有効だったかと言うと、

行動障害が激しく、支援している場面で特に感じたのが

・困難に思われる場面での、客観的な視点を保てる。

・支援中に他傷行為(特性から)を受けても、受けたことでの怒りの感情は無く、もちろん痛みはありますし、痛いと言う感情はありますが、“他傷行為”と言う現象だけを見ることが出来た。

疲れていたり、腰痛があったり

自分の行い、支援が空回りしてしまったり

自分を見失ってしまいそうになる時

敬語を使うことで、自分の支援の在り方を守ってくれる

そんな風に思っています。

言葉って、大事だな、と言う本日のお話でした。

本日もお読み下さり

ありがとうございます。

小見